映画『ミセス・ハリス、パリへ行く』を見て 透明人間
先日『THE FIRST SLAM DUNK』を映画館で見て、映画館の素晴らしさを感じました。
そこで調子に乗って、今月2回目の映画館行きを実行したのです。
今回は『ミセス・ハリス、パリへ行く』を見ました。
明らかにハッピーエンドだろうと思える映画しか見に行けません。
暗い気持ちになりたくないからです。
オートクチュールを纏った女優さんたちはきれいでした。
美しいものって心を洗ってくれる反面、「美しいものがある=美しくないものもある」、という現実も思い起こされました。
これは以前、禅寺の住職がお話していたことです。
ある観光客が、「このお寺は美しいですね。。。」と住職に話しかけたところ、
「私たちはそのようには考えません。美しいもの・美しくないもの、という判断をしないのです」というようなことをおっしゃっていて、ハっとしたのです。
全く話が変わりますが、時々、あります。
自分の目の前で他人を褒める人。
しかも自分とほぼ同じような条件の人を褒める人。
それだったら、私を褒めればいいのに、と思わせる人。
(その方がお互いの気持ちが良くなると思います)
これは「褒められる人がいる=褒められない人もいる」という図式です。
ここからさらに自分の中で連想が続きました。
映画の中で「透明人間」という言葉が出てきます。
これを聞いて泣きそうになりました。
誰かがきれいにしてくれるのを当然だと思ってる人は、きれいにしてくれる人のことを透明人間だと思っています。
自分は認識されてないんだな、、、と寂しい思いをしたことが何度かありますが、それを言語化すると「透明人間」ってことなんだ、と今回腑に落ちました。
私も誰かを透明人間にしているのでしょう。
人の優しさ思いやり、そういうのに気づくことのできる人でありたいです。
近くの席でポップコーンをカサカサと食べてる人にもおおらかになれる自分でありたいです。